(出典: brontesommerfeld)

“以前、古い女友達と飲んでいる時に、会社で「怖い男」と対峙するためには「強くて傷つかない女」に擬態するしかなかったと言っていて、「もうそうなる以前に戻る方法を忘れてしまった」と言われ、とてもしんみりした気分になったのをふと思い出しました。”

Twitter / tarareba722 (via hutaba)

心の角質化

(via tamejirou)

“よく行動する人は、知識は必要最低限でいいと考える。 なぜなら実際に動く前に、わかることなんてほとんどないと知っているからである。”
“魔法のように一瞬で全てを解決してくれるもの。 そんなものを探すのは止めましょう。ばかばかしく感じても、「実際にできること」をやるのです。それを積み重ねていけば、変化は必ず生まれてきます。それが、まっとうな人間が手にできる最高の変化です。”
bonjour-oshare-san:

funnyandhilarious:

The Beginning Of A Beautiful Friendship

 
mostlyitaly:

View from Spanish Steps, (Rome, Italy) by MarianOne on Flickr.
grett:

はじめてするシャボン玉 by iwakura shiori on Flickr.

happylittlecourfeyrac:

steampoweredcupcake:

itscolossal:

Rainbow Pencils by Duncan Shotton

SIGNAL BOOST

i frickin love this, its good for the environment and junk so go look at the kickstarter.

I WANT THIS

megazal:

110cm by Tom Kondrat on Flickr.

megazal:

110cm by Tom Kondrat on Flickr.

“「わからせたい」とき、つまり「説得したい」とき、定義や論証ではなく「たとえ」を使うのはわたしたちの常套手段です。それは論理的な理解ではない。
わたしたちは「理解」するのではなく、「把握」するのです。
尼崎はここで「把握されるものは概念の論理関係ではなく、関係の型であり、図式である」と言います。

さらに、言語は本来的に比喩的なものであるともいえます。わたしたちは「把握する」と言いますが、この「把握」にしても、「呑み込む」にしても、「腑に落ちる」にしてもすべて隠喩です。わたしたちは隠喩ではなく、文字通りの意味として使っている多くの言葉が、すでにレトリックであるとも言えるのです。つまり、隠喩、メタファーというのは、わたしたちの基本的なものの認識のありようのひとつである、と言えるのです。

つまり、レトリックとは、説得するための技術であるだけではなく、なぜわたしたちがレトリックによって説得されるのかを考えてみるとあきらかなように、わたしたちの認識のありかたと密接に関連しているものなのです。”
“6歳の息子に「ゲームのいい場面で、お母さんの掃除機が始まることって、よくあるよね」とか、軽い気持ちでゲーマーあるあるみたいな事を言ったら「おとうさん?それは おれたちが ゲームしてるときに おかあさんが おそうじしてくれてるからだよ?」と真顔で言われました。俺はッ…俺はバカだッ!”
Twitter / chiisanaehon (via shinoddddd)

2014-03-10

(via mmtki)
snowce:

Tatsuo Miyajima

snowce:

Tatsuo Miyajima

megazal:

The National Art Center, Tokyo (via hirox176)
shinoddddd:

本日の中日新聞。細部まで上手すぎ。残量50%ちょっと